Masukグレンの宿代を賄うため、二人は平原を歩き魔獣を探していた。ヌールの門付近から移動して少し経った頃だが、辺りを見回しても魔獣の影すら見えない。
魔獣がいなくては換金用の素材も手に入らない。思うようにいかない状況に、グレンは苛立ちを隠せなかった。
「この辺にはいねえみたいだな……ったく、普段は魔獣なんてそこら中に湧いてやがるってのに」
「ここ一帯の魔獣は、既に俺が討伐してしまったからな……」
エルキュールは毎日の日課として魔獣を狩っているが、今回はそのことが仇になってしまったようだ。
「クソ……この調子じゃ結構時間がかかりそうだな……ん? お、そうだ――」
怠そうに愚痴を吐いていたグレンだったが、何かを思いついたように表情を綻ばせるとエルキュールの方を見た。
「なあエルキュール、金は無理でもお前が狩った魔獣の素材があれば、少しばかり譲ってくれねえか? 」
「……結局物乞いじゃないか。それに、もう今日の分はもうすべて換金してしまったんだ」
妙案を思い付いたかのような顔に、エルキュールは一瞬期待を寄せたが大した案ではなかった。金も素材も無償で他人にくれてやるほど、エルキュールは優しくはない。
「あー……じゃあ、アレだ、魔法はどうだ。ほら、あの……遠くの様子をみたりするヤツだ……何だっけなあ……」
「ビジョンのことか? 悪いが、光の上級魔法なんて俺には扱えない。闇魔法なら多少の心得があるが、他の属性は少ししか使えないんだ」
簡単にグレンは言うが、上級魔法やその上の特級魔法のような難解な魔法は魔術師などの限られたものにしか扱えない。
ヌール広場にあるビジョンを発動する魔動鏡はもちろん、その他の魔動機械も優秀な魔法技師の存在があって初めて成立するのだ。特にエルキュールは光属性の魔法はあまり得意ではなかった。あまり専門的には知らないが、個人によって魔法の適性はまちまちで、エルキュールの場合は闇と対極の光属性の適性が欠けていた。
「心配しなくても、もう少し先に行った平原になら嫌というほど魔獣と出会えるだろう」
「ホントかぁ?」
信用しきれていない様子であるが、エルキュールにひとまず納得したグレンは彼の後を歩き続ける。
その言葉はすぐに現実のものとなった。
「おっ、いたいた……なあ、あの兎型魔獣なんかどうだ?」
エルキュールが狩りを行っている場所から、より先に行った平原。グレンはここから少し離れた場所に見える魔獣の群れを指さした。そこは狼魔獣ではなく兎魔獣の縄張りなのだろうか、ほかの種類の魔獣は周りに確認できない。
「構わないが、少し数が多いな……」
彼らの体躯は小さいものの、数は十体近くに及ぶ。一体の力はそれほど高くはなさそうだが油断できない相手だろう。エルキュールは硬い表情でその魔獣の群れを観察している。
「何言ってんだ、数が多いほうが手に入れる素材も多いだろ? 簡単な論理だぜ」
よほど自分の腕前に自信があるのか、グレンは鷹揚に構えている。そして、自らの背中にあった大剣を手にした。
それは見事な大剣だった。炎がそのまま剣を形成したと見紛うほど燃えるような赤い剣身。恐らく、火の魔素を大量に含んだ魔鉱石で鋳造されたものだろう。
これだけ見ても凡庸な剣ではないと分かるが、それだけではなかった。その剣身には魔法術式が刻まれ、柄の方には銃砲のようなものも備わっている。
「ふむ……ただの剣ではないみたいだな」
「ああ、オレは銃大剣って呼んでるが、ただ斬るだけの代物じゃあねぇ。この銃砲から魔法を放つことができるんだ」
「へえ……それは大したものだが、魔法ならただ詠唱すれば放てるだろう?」
「それはそうだが、自分で放出するより術式が付与されたモノを使った方がオレには合ってるんだ。昔から魔法は苦手なんでな」
放出と付与。魔法には二種類の形態がある。
自ら魔素を操り詠唱して発動する放出。物体に術式を刻み込み、それに魔力を注ぐことで機械的に効果を発動させる付与。
一般的な魔動機械や、ヌール広場にある魔動鏡も光魔法・ビジョンの術式を付与されたものである。「特に魔獣との戦闘では迅速な対応が求められるだろ? オレの技術じゃ簡単な魔法ならまだしも、魔獣にダメージを与えるような強力な魔法を放出する余裕がねえ」
「なるほど。その術式と銃砲を使えば自分で魔素を操る手間が減って、効率的に魔法を使えるわけか……」
本で得た知識と照らし合わせながら、エルキュールは琥珀色の瞳を見開いてまじまじと剣を見つめた。効率的な構造に感心したというのもあるが、大剣と銃砲が合体したその造形がエルキュールの琴線に触れた。
「ハハ、そんなに気になるか?」
「……ああ、すまない、少し見すぎたな」
流石に注視しすぎてしまったと、エルキュールは顔をそらした。
「別に構わねえが……つーか、エルキュール。お前、あのいかつい武器を持っていねぇようだが……まさか、忘れたとか言わないよな?」
グレンの指摘通り、エルキュールの手にはいつも所持しているハルバードがなかった。エルキュールが身に纏っている外套の中にも、彼の得物である巨大なハルバードを収納できるスペースは見当たらない。
「あっ、しまった――」
エルキュールの吃驚に、自分の考えが当たってしまったことを察してグレンの顔が引き攣る。エルキュールが戦えないとなると、あの大量の魔獣とグレンは一人で戦わなければならない。それを本気で嫌がっているようだ。
「ふ、冗談だ、忘れてなんかない。少し待っててくれ」
「あ……?」
その様子を見て満足したのか、薄く笑ったエルキュールは意識を集中させ――
「――ゲート」
闇魔法を詠唱した瞬間、二人の間の頭上の空間にぽっかりと円状の穴が出現した。その穴の中は漆黒に包まれており、闇の向こう側はどこに通じているのかわからない不気味さを漂わせている。
「うおっ!?」
そこから銀色の光がきらめき、何か長い棒状のものが降り注ぎ地に突き刺さった。見やると、そこには件のハルバードが突き刺さっていた。
黒の柄に、装飾が施された銀色の刃。斧と槍の役割を兼ねるその武器は、エルキュールも気に入っていた。「……おい、危ねぇだろ!?」
状況を理解したグレンが叫ぶ。ハルバードが落下した地点がずれていたら、二人どちらかの頭に突き刺さっていたことだろう。
「ほら、忘れてなんかいないだろう? ……君を見習って冗談を言ってみたんだが、気に入らなかったか?」
「そっちじゃねぇ! いきなり頭上からハルバードを降らすなってことだ!」
「ああ、それは悪かった。だが、これから忘れ物を家に取りに行っていては時間がもったいないだろう?」
本気で悪いとは思っていないような態度で、エルキュールは地面からハルバードを引き抜く。
「それはそうだけどよ! ……って、ん? つーかお前、結局持ってくんの忘れてたんじゃねえか! なーにが『ほら、忘れてなんかいないだろう?』、だ!!」
「――確かにそれはそうだな。今日は少し忙しかったから、武器を取りに行く暇もなかったんだ」
任意の空間の二点を繋ぐ闇魔法・ゲート。その便利さに胡坐をかいて武器を携帯することに注意がいかなかったというのもある。
「……はー、まあいいさ。そんなことより、さっさとあいつらを――」
「ギギィー!!」
グレンが意識を切り替えようとしたその刹那、兎型魔獣の鳴き声が耳を打った。それも思ったより近い。どうやら騒ぎに気づいた魔獣が接近しているようだ。
「ふっ――」
「おらっ!」
近づいてきていた魔獣に攻撃を繰り出したのは、二人ほぼ同時であった。攻撃にひるんだ魔獣は体勢を崩す。
続けて二人は目の前の魔獣の額にある無防備に曝された青色のコアを正確に破壊すると、互いに背中合わせの構えをとった。「ギギ……」
同朋をやられた魔獣たちはいったん二人に襲いかかるのをやめ、二人を囲うように並んだ。
二人と相対する兎型魔獣は、その毛に覆われた体に交じり、輝く紺碧の魔素質が不格好に埋め込まれている。魔素質やコアの色から、水の魔素を含む水属性の魔獣のようだ。魔獣に人間のような仲間意識があるかは定かでないが、その目は憎悪に塗れているようだった。
「……俺が彼らの動きを止める。その間に攻撃を仕掛けてくれ」
「……ハ、了解だ」
魔獣の包囲に気を乱されることなく、二人は初めての共闘とは思えないほど手早く作戦を共有すると、エルキュールが上空へと跳躍した。
「――シャドースティッチ」
そして滞空したまま小型の矢のようなものを複数生成し、それぞれ魔獣のほうへ放つ。
しかし、魔獣たちはその矢の攻撃を飛んで躱し、そのままエルキュールのほうへ攻撃を仕掛け――
「グ……?」
だが、その攻撃はエルキュールに届く前に止まった。エルキュールが特に行動を起こしたわけでもなく、グレンが攻撃を止めたわけでもない。そして、魔獣が攻撃をやめたわけでもない。
ただ、攻撃を繰り出した体勢のまま、時が止まったかのように魔獣の動きが静止しているのだ。
その理由は魔獣が跳躍した地面にあった。その地点には、魔獣の影と先ほどエルキュールが放った矢が影に重なるように突き刺さっていた。
「だあぁぁーっ!」
動きを止めた魔獣に、グレンは次々と炎を纏った斬撃を浴びせた。烈火の剣を喰らい、コアを砕かれた魔獣はもれなく地に伏した。
水と相反する火属性の攻撃というのもあるが、見事な腕前である。「よく合わせてくれた、グレン」
地面に着地したエルキュールは労いの言葉をかける。今回は彼の力があったからこそ、十匹近くいた魔獣を容易く片付けることができたといえる。
「これくらい大したことねぇよ。それより、闇魔法ってのはあんなこともできるんだな。どういう仕組みなんだ?」
「ああ、あれは矢で対象の影を貫くことで動きを止める、という魔法だ」
「ほーぉ、なるほどねぇ……っと、そうだ、素材を回収しないとな」
エルキュールの魔法に一頻り感動した後、グレンは兎魔獣の残骸を漁り始める。爪、歯、毛皮などを慣れた手つきで採取していく。
そんな様子を横目に、エルキュールもグレンが斬った魔獣を確認する。もちろん、エルキュールも完全な善意でグレンに同行することを引き受けたわけではない。 今朝の報道を聞いてから改めて魔獣を調査しようと考えていたので、グレンに協力すれば自分も効率よく調査ができると思ったからというのもある。動かなくなった魔獣の体に異常がないか観察する。
「……この個体は……む、これは特に何もないな……」
「何探してんだ?」
一通り物色したのか、グレンが横から顔を覗かせる。
「この魔獣が操られた形跡がないかと思ってな」
「……なるほどな、アマルティアの連中か。魔獣を操るって話だが、痕跡とか分かるもんなのか?」
今朝の報道では魔獣の大量発生には、アマルティアの介入の可能性があるという話だ。魔獣を操る能力を有しているらしいが、エルキュールも操られた魔獣が通常の魔獣と比べて差異があるのかは詳しく知らなかった。
「見たことはない……だが、調べてみないと気が済まないんだ」
魔獣は凶暴化している一方で、鑑定屋のアランが言っていたようにヌールの騎士の数は多くない。魔獣だけでも十分な脅威だというのに、アマルティアまでもこの地に潜んでいるとなれば、警戒をするのは当然のことである。
「……これは……?」
「どうした、何か見つけたか?」
残りの一匹の魔獣を調べていたところ、エルキュールは何かに気づいたのか動きを止めた。
「――――」
違和感の正体を探るため、エルキュールは魔素感覚を研ぎ澄ませる。本来は魔素を感じ取り魔法を使用するためのものであるが、応用すれば物体や魔法が持つ細かい魔素の成分を見ることもできる。
魔獣の操作に何かしらの道具や魔法が使われている場合、魔素感覚を使ってその異物を見つけることができるかもしれない。
「……魔法の術式か? けど、この術式は見たことがないな……恐らく、魔法書にも記述されていない」
魔獣の魔素に集中したことによりその首元の術式を認識することができたが、エルキュールの顔は戸惑いに溢れていた。
「術式が見えたのか? ……ちっ、オレにはさっぱりだぜ……」
置いてけぼりのグレンは明後日の方向を見てぼやいた。魔素感覚には個人差があるようで、エルキュールには見えているものはグレンには見ることができなかった。
「俺にもこれがどういうものなのかは分からない。だが、不気味な感じがする……俺はもう少し調査をしてみる、君は手に入れた素材を換金しに戻るといい」
十体分の素材があれば、一泊するには十分すぎるだろう。この先は危険も多い、知り合ったばかりの人間をエルキュールの個人的な用事に巻き込むわけにはいかない。
「……おいおい、勝手に決めんな、オレにも手伝わせろよ。元々お前に声をかけたのは、アマルティアにも関係してるんだぜ?」
エルキュールの善意から提案を蹴り、グレンは同行を申し出た。「……いいのか? 確かに君がいれば助かるが……」
「もちろんだ。お前は随分あいつらのことを気にしてるみてえだし……放っとけないんだろ?」
そういうグレンの表情は真剣そのものであった。軽薄な印象が目立つが、実はそれだけではないのかもしれない。やはり人を理解するのは一筋縄ではいかない。エルキュールは彼の評価を改め――
「ありがとう、グレン。なら、一緒に調べよう」
感謝の意を示した。それからエルキュールがもう一度魔獣のほうを見やる。すると、その体は禍々しい瘴気を発し、やがて消失した。
手掛かりは十分とは言えないが、仕方のないことだった。活動を終えた魔獣は数分で消滅してしまう特徴があるからだ。「ふう、消えてしまったか……」
「ま、消えちまったならこのままここにいても仕方ねえだろ。もう少し先へ行ってみるか?」
「ああ、そうしてみようか……いや、少し待ってくれ……何か落ちているな」
先ほどの術式が刻まれた魔獣が消えた跡に、何か輝くものが見えた。エルキュールは手のひらに収まるほどの大きさのそれを拾い、顔の前に持ち上げた。
「石の塊のようだな……何でこんなものがここに?」
表面に目を向けると何か奇妙な模様が描かれているものの、途中で不自然に途切れているのが見える。
この塊だけでは不完全さが拭えない。恐らくだが、この塊は全体から欠け落ちた欠片に過ぎないのだろう。しかしこれだけでは、全体がどんなものであったのかを判断することはできない。それでも、明らかに自然物でないそれは、この緑の平原には似つかわしくないものだ。元々は遺跡のような別の場所にあったことは確かである。
「んー……こいつが落ちてた場所から考えると、魔獣が持っていたものじゃねえか?」
「そうかもしれない……でも、こんなものに魔獣が興味を持つとは思えないな」
魔獣に理性などなく、自分たちに敵対するものを襲い、リーベを汚染することしか能がない。奴らにとってこれはただの石ころに過ぎないだろう。
「そうとも限らないんじゃあねえか? こっちを見てみろよ」
「……光の魔鉱石か?」
グレンが示した塊の裏側を見ると、白い鉱石が石の中から顔を覗かせていた。
魔鉱石といえば、その内に高密度の魔素を含んでいる鉱石だ。鉱石内の六属性の魔素の中で、最も比率の高い属性の魔素によってその色を変える。火なら赤、光なら白といった具合だ。
高純度の魔素で構成される魔鉱石はその硬度を見込まれ、精錬することで宝石や武具の作成に用いられることもあるが、加工されていない天然物はその魔素が周囲に漏れ出ているため面倒を引き起こすこともある。
例えば、魔素を吸収して生きている魔獣を寄せつけてしまうこととか。
「ああ。にしても、あの魔獣がこれを持っていたってことは、元々これがあった場所をたどれば、術式の手掛かりに繋がるんじゃねえか?」
グレンの言う通り、この石片があった場所に行けば、あの魔獣の術式の由来も分かるかもしれない。
「そうだな。ここからさらに北に行ったところに、古い遺跡があったはずだ。とりあえず、まずはそこに行ってみよう」
「おう、そこにアマルティアに繋がる手掛かりがあるかもしれないなら、行ってみるしかねえな」
意思を合わせた二人は北に向かって歩き始めた。
それを後押しするように、昼に差し掛かった平原に風が吹いた。彼のヌール事件から八日が経ったセレの月・11日のこと。破壊された街を復興しようとする計画が開始され、それに先駆けて郊外の空き地には仮設住宅が設置されていた。 事件当時ヌールの外にいた住人、そして襲撃から逃げ延びた住人、それまで各地で難民生活を送っていた人々も、その動きに乗じて徐々にヌール跡地へと集まっている。 その何れもが、元居た住処を追われ、知人の多くを失うことになった。それでも彼らはその地で再会できたことを喜び、互いに街の復興に尽力しようと、青空のもとで誓いあったのだった。 ヌール復興には比較的体力のある元住民たちのほかに、王国騎士団本部からの要請で赴任した騎士が参加することになった。 先んじて行われたのは具体的な被害状況の確認。一見して全ての住宅が崩壊しているということもなく、細かく見ていけば生活に使えそうな物資がそのまま残っているかもしれないという希望があった。 念のため騎士連中が跡地内に魔獣の残党がいないかどうか魔素を探り、崩落の危険がないと分かったうえで、有志の住人たちは廃墟と化したヌールを探索することになった。 一連の動きは迅速で、元住民たちは我先へと内部へ入っていった。近くにいた騎士たちも、探索における危機はないとはいえその住民たちの勢いに注意の声を飛ばす。 ずっと帰りたかった場所がもう目の前にあるのだから、そんな簡単に止まるわけもない。 暫くしないうちに、その場にはお揃いの薄紫の髪が映える二人の女性のみが残された。 一人は物腰柔らかな壮年の女性。もう一人は利発な雰囲気を醸す少女。身体的特徴から母娘だと推測できる彼女たちは、先ほどまでここに集っていた元住民たちの一員であった。 だがどういう訳か、その脚は先へと進む素振りを見せず、何か焦っているようにも取れる表情で辺りを見回すばかりである。「……失礼、見たところあなた方もヌールの人間のようですが……中には行かれないのでしょうか? もし中の様子が心配でしたら、私が付き添うこともできますが」 これを不思議に思った騎士連中のうちの一人が彼女たちに尋ねる。少し圧倒されてしまうほどの長身と、人当たりの良い爽やかな笑みが印象的な青年だった。 対する母娘はまさか声をかけられるとは思っていなかったのか、動きを固くした。だが相手はどこからどう見ても一般の騎士である。そのことを認めた女性はすぐ
カーティス隊長とエルキュールらとの会合はそれからつつがなく終わりを迎えた。と言ってもあの話題以降のエルキュールは全くと言っていいほど頭が働かず、その内容の記憶もどこか朧気であった。 最低限の情報として、カーティス隊長が王都の騎士へ橋渡しをしてくれ、迎えを手配してくれること。その間エルキュールたちはこのアルトニーに滞在しなければならないことは、念のためグレンとジェナに確認を取ったが。 会合を終えたカーティス隊長はすぐにでも騎士団本部と連絡をしたいとのことで、一足先に詰所へと戻っていった。 何の偶然か泊っている宿が同じであったジェナとは、各々の部屋で別れるまで帰りを共にした。そのジェナも、相部屋であるグレンも、揃ってエルキュールを心配してくれていたのを覚えているが、エルキュールにはどうにも上手く返せた自信がなかった。 まるで意識に靄がかかってしまったかのような酩酊感の中。時間が過ぎゆく感覚すらも忘れ、気付けばエルキュールは暗くなった室内でベッドに寝転がっていた。 隣のベッドにいるグレンの煩いいびきが、鈍麻したエルキュールの意識にさざ波を立たせてくれたのだろうか。 それとも夜に混じる闇の魔素に、魔人としての本能が刺激されたのか。 光に群がる虫のように、もしくは糸で操られる人形のように。エルキュールの身体は無意識のうちに、暗闇に閉ざされた街へ誘われていた。 アルトニーの夜風に交じって舞う闇の魔素、空気中に含まれるそれを、エルキュールはやけに敏感に感じ取っていた。振り返れば今日は随分と力を消耗した、その反動で身体を形作る魔素質が反応しているのだろうとエルキュールは思った。 疲弊した身体には夜の散歩が丁度良い。エルキュールのコアも魔素質も、闇属性の魔素を中心に形成されているので、意図して魔素を吸収をしなくても闇の魔素を浴びることができるのだ。 欠乏したものが満たされていく感覚は心地よく、人の世界に生きる魔人にとって何より貴重なものだ。身体だけでなく精神もまた安らいだように感じられ、エルキュールの足取りも徐々に軽くなる。「……あ」 そうして黒く染まる道を闊歩していた足がふと止まる。今朝――ひょっとすると昨日の朝かもしれない――通り過ぎたアルトニーの広場、そこにはかつてのヌールと同じく魔動鏡が鎮座していた。 もちろん広場なのだから魔動鏡があるのは当たり
会合の約束を取り付けたエルキュールは、すぐさまクラーク一家と歓談していたジェナも来るように誘った。 当の本人は快諾してくれたのだが、彼女に懐いているカイルとサラは難色を示し、説得するのに少し手間取ってしまった。 どういう訳か、特にカイルはジェナが離れることに殊更に抵抗しており、事の発端のエルキュールを見る目は、まるで親の仇を見るような眼つきであった。 話を聞く限りジェナとカイルたちとは共にヌールに行く約束を交わしたらしく、それが果たされぬまま別れることを惜しんでいるようだった。 ヌールの街は崩壊した。だから約束も無効となる。簡単だが残酷な論理は十にも満たない幼子には受け入れ難いようで、説得するのには苦労した。 彼らはしばらくしたら故郷であるガレアに帰るとのことで、結局のところ時を見てガレアに遊びに行くというジェナの提案で、なんとか子供たちも了承してくれたのだった。 カイルたちがここまで渋るのも偏にジェナの人徳からなのだろうが、こういう場合にはそれすら面倒を起こす種になってしまうのだと、エルキュールは難儀したのだった。 一悶着ありはしたが、カーティス隊長の案内の下、件の店までやって来た一行。木の香りが心安らげる居心地の良い内装の店だったが、この時勢からか閑古鳥が鳴いており、悲しいほどすんなりと奥の個室に案内された。 席に着くや否や各々が注文を取り始め、エルキュールも渋々それに倣った。魔人である彼は食事を採らないためだ。 動力源となる魔素はもちろん料理にも含まれているが、そこに含まれる魔素の属性はまちまちな上効率もすこぶる悪い。 家族と同じ時間を共有するために、口に入れた料理を魔素に分解するという技能を身につけこそしたが、家族以外の人間、しかも複数人で揃って食事をするのは彼にとって中々心理的負担が重い行為だといえよう。 詰まるところ、食事を採りながらの会合を認めたとはいえ、エルキュールはこの食事会に対して消極的であった。 結局、エルキュールはお腹がすいていないという理由で簡単なサラダとスープを注文するに留めた。 共に食事をしたことのあるグレンはともかく、ジェナやカーティス隊長には疑問に思われることを覚悟していたのだが、それも杞憂だったようだ。 カーティス隊長からは「私も年なのか最近は食が細くなってしまいましてねぇ」などと共感を受けた。ある
アルトニーの森を脱したエルキュールとジェナが騎士団詰所に帰還したのは、もうすっかり陽が落ちてしまった頃であった。 詰所に先に逃げ延びていたグレンとカイル、未だ帰ってこないジェナたちを心配するクラーク一家は、二人の無事に大いに喜んだ。 クラーク夫妻は腰を痛めるのではないかと心配するほどエルキュールらに頭を下げていたし、ずっと不安と緊張を抱えていただろうサラは大声で泣きだす始末。事件の渦中にいたカイルは自分のした行いを猛省し、そんな妹に申し訳なさそうに何度も謝っていた。 それぞれが思い思いに感情を爆発させる様に、エルキュールはもちろんのことジェナやグレンも若干押され気味だった。 それに追い打ちをかけるが如く、遠くから騒ぎを駆け付けた騎士連中までもがその人の渦の中になだれ込んできた。 一兵卒の過失によるこの事件に責任を感じていたアルトニー騎士たち。もちろん全員ではないがカーティス隊長を筆頭に数人が集い、事件解決に動いてくれたエルキュール、グレン、ジェナの三名に丁寧な陳謝と賞賛を送った。 ここまで事が大きくなるとは思っていなかったエルキュールは、正直いって多くの人間に囲まれるというこの状況から逃げ出したくあったのだが。 彼の弱気に目聡く気付いたジェナとグレンによってそれも阻まれ、むしろかえって二人からの揶揄いを受けることになったのだった。 詰所内はまるで祭りでも催されているのかという程の賑わいを見せていたのだが、やはり勢いというのは時が立てば落ち着くもので、次第にそのほとぼりも冷めていった。 先ほどエルキュールらにお礼を述べてきた騎士などは、この時間になってもなお仕事に追われているらしく、早々とそれぞれ持ち場に戻っていった。 この街が抱えている問題は依然としてあることを再認識させられるが、とにかくこれからの展望について語るのなら、今が絶好の機会だろう。 疲弊した精神を癒すべく、集団から離れていたところで暫しの休憩していたエルキュールは、場の空気が落ち着いていくのを感じながら決意した。 王都へ至る道にグレンのほかにジェナが加わった。まずはそのことを知らせようと赤髪の彼を探す。 こういう時、背の高さは素晴らしいものだなと思う。部屋の隅の方でカーティス隊長と話しているグレンの姿を容易に確認できた。「そういえば、グレンの家はあのブラッドフォードだったな
「分かりやすいように、君が話してくれたことと照らし合わせて話すとしようか」 これから話すことの全容を知っているのは、エルキュール自身を除けばもはやグレンくらいしかいないだろう。あまり自分のことは周囲に語らないように心掛けてきたので、いざ核心に迫る部分を自ら曝け出すとなると緊張が抑えられなかった。「まず、そうだな。君が言っていたという黒づくめの男だが……あれは恐らく俺のことだ」「ん? え……? えぇぇええー!!?」 ジェナの叫びが木々を突き抜けこだまする。確かに今のは突拍子もない発言だった。訂正し、順序だてて補足する。「その、俺は元々家族とヌールの方に住んでいたんだ。そこで魔獣を狩り、そこから採れた素材を家計の足しにしていた。君が聞いたのは恐らくそのことだろう」「あー、そっか。確かにそうかもしれないけど……って、え? ヌールに住んでいたってことは――」 過去形の表現。もしくはそうでなくてもエルキュールが言ったことがどういう意味を持つか、ジェナには容易に知れたかもしれない。「……あの事件の日。魔獣の大量発生の知らせを受け、念のために俺はある組織について調べてみることにしたんだ」「アマルティア、だね」「そう。結果としてヌール近辺の平原で彼らの痕跡を見つけたが、それは意味を為さなかった。陽動にまんまと嵌り、何とか追いついたころには、彼らが魔獣を操って街を攻撃し始めた後だった」 感情の色を乗せず、淡々と語る。本題でもないところなのでさっさと流したいという思惑からだったのだが、聞いているジェナの表情は悲痛に溢れていた。 とはいえ既に飲み込んだこと。要らぬ感傷を与えないように、言葉を矢継ぎ早に繰り出す。「動機は不明だが、アマルティアは人間を汚染する他にも、俺という存在を仲間に引き入れたかったようだった。そんな勝手な都合のために、不幸にも無関係だったヌールの街が巻き込まれた」「……まるであなたにも非があるみたいな言い方だね」 それは実際そうだろうと、言いかけた口を噤む。ジェナは責めているのではなく、暗にそれを否定しているからだろうというのが理解できたからだ。自身がどう捉えるかは勝手だが、その健気な思いは無下にはしたくなかった。「それはどうだろうな。けど俺は、俺の大切なものを傷つけたアマルティアを許せなかったし、無力な自分にも嫌気がさした。だから一人
「どこから話そうかなぁ……」 さくさくと土と葉を踏む音が鳴る。グレンと共にここへ来る際に付けた印によって、帰りの足取りは軽やかなものだった。 しかし、一方のジェナといえば、話したいことがあると言ったきりこの調子である。 それほど話しにくい内容であるのなら、無理に聞いても逆効果だろう。エルキュールは前を見据えながら、続く彼女の言葉を待つ。「よし、これなら……あのね、エルキュールさん。まず、私が六霊守護に関係する人間だってことは知っているよね? 私が口を滑らせちゃったことなんだけど……」 「ああ――」 やっとの思いで出た言葉、それはエルキュールが想定していた以上に、重い内容になるであろう空気を孕んでいた。 六霊守護。その肩書が彼女がこれからする身の上話に絡んでくるとなると、こちらも真剣に耳を傾けるべきだろう。「あまり詳しいことは言えないんだけど……六霊守護っていうのは古から伝わる六柱の大精霊――それが住まうとされる聖域を守る任を負う人々のことなんだ。大精霊様の数と同じ、六つの家系がそれを担当しているの」 言葉を選ぶ、慎重な説明。書籍や伝聞で知っていた話ではあるが、無用に口を挟みジェナの話の腰を折るようなことはしないと心に決める。「そんな大層な任を全うするには優れた魔術師である必要があってね。聖域には高濃度の魔素が充満しているから強力な魔獣を惹きつけやすいし、ヴェルトモンドで最も歴史ある宗教――その信仰対象の領地を守るってことだから。だから私も小さい時からずーっと、魔法の勉強と実践ばかりさせられていたんだ」 過去を振り返る遠い目。所々に皮肉を込めた口調。それでも、語るジェナの表情に暗いものは見られない。「最初の方は楽しかったんだ。順調に成長を実感できていたし、お父さんとお母さんに教えてもらうのも嬉しかった。難しい論理も、私が興味を持てるように工夫して説明してくれたし、何より魔法は楽しいものだって……いつも私に伝えてくれた」 「……そうか、それはいいご両親だな。楽しげな様子が目に浮かぶ」 「えへへ……うん」 エルキュールの相槌に、ジェナも誇らしそうにはにかんだ。
「……あれから八年か……」 幾度となく繰り返し読んだ単行本を両手に持つエルキュールの眼が滑る。 なにも質素な自室の窓から朝の到来を告げる、小鳥のさえずりのせいだけではないだろう。 それは追憶だった。 エルキュールにとっての原初の記憶、忌み嫌うべき記憶のせいだった。 本を両手でぱたりと閉じると、エルキュールはやや上を見上げてゆっくりと目を閉じた。 中断させられた読書を再開する気もなく、ただそうして、エルキュールはいつものように心を落ち着けた。「――というか、そろそろ出る時間だったな」 ゆっくりと目を開けて思い出す。 窓から見上げれば小鳥の便りにするこもなく、遠くの空が白んでい
名もなき丘の上。 平時なら静寂に包まれているはずの彼の地は、その夜、溢れかえるほどの人々で埋めつくされていた。 たとえばそれは、泣き叫ぶ幼子。 あるいは、子を宥める親。 身を震わせ叫ぶ者たちもいた。 反応はそれぞれ異なるが、確かなのは、誰も彼もが一様に悲嘆に明け暮れ、丘の麓で盛る劫火に、果てしのない喪失を重ねていたこと。 この者どもが住んでいた村は、僅か一晩の内に救いようもなく決定的に破壊された。 彼らにとっては最も忌み嫌うべき宿敵によって。「――――」 そんな凄惨たる状況の中で一人。 人々から少し離れたところで佇む青年だけが悲哀と無縁であった。 飾らない灰色の髪に、
迫りくる三体の魔人を間一髪のところで退けたエルキュールたちを狙ってきた、豪奢な薄緑のドレスに身を包んだ長身の女性。 その口から発せられた恐ろしい肩書に、エルキュールは内心焦りを感じていた。 アマルティア幹部。つまりはザラームと肩を並べるほどの力を持った魔人。ここ一帯で起こった異常事態を説明づけるにはこの上ないほどの分かりやすい人物ではあるが、そんな論理的な整合性に喜ぶほど余裕のある状況ではない。 魔獣の群れに、騎士が汚染されて生まれた魔人。戦闘の連続によってただでさえ消耗しているというのに、その上アマルティア幹部とも対峙することになろうとは。 強力な魔術師であるジェナは不意を突かれ
エルキュールと少女が魔人との戦闘を開始したころ、一方のグレンはその肩にカイルを担ぎ、来た道を急いで引き返していた。 すんでのところで魔獣に襲われていたカイルを救出することに成功したグレンらだったが、運が悪いことに魔人までこの件に噛んでいたのだ。 一般的に魔人は魔獣に比べ知能が高く、その力も強大である。そんな危険極まりない存在との戦闘に、カイルを巻き込むわけには行かなかった。 故にグレンは一刻も早くカイルを連れこの森から離れる必要があった。 それには一秒たりとも無駄にはできない。カイルは一人でこの森に入ったようだったが、起伏のあるこ







